2009/12/27 Sunday

ダカールの風景

Filed under: — ono @ 18:29:49

アフリカ旅行も明日で終わりです。たった一週間の旅なのに、手元の旅日記はすでに15ページ、二万字に。この膨大な量の経験や感情や思考をまとめるのは帰国後にして、とりあえずは、旅の出発点であり、時間の約半分を過ごしたセネガルの首都・ダカールの写真をアップロードします。

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ダカールは大都会。道路を作らずに街が膨らんでしまったから、渋滞がひどいのなんの。

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この国では車よりヤギのほうが強いようです。

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市場。

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ゴミをゴミ箱に捨てる習慣がないと、大西洋の夕景もこうなります。

2009/12/16 Wednesday

冬の散歩道

Filed under: 日々徒然 — ono @ 23:33:45

Time, time, time, see what’s become of me
While I looked around
For my possibilities
(時、時、時よ、僕を見てくれ
自らの可能性を追い求めているうちに
どんな風になってしまったかを)

就職活動を始めた。卒業まであと一年半、日本に帰るかアメリカに残るか、そもそも就職するか研究を続けるのか、道を迷いに迷っている真っ只中だ。だからこそ、自分にどのような可能性があるのか見極めたく、就職活動を早めに始めることにしたのだ。11月の週末に日系企業が大挙してやってくる「ボストンキャリアフォーラム」というイベントがあった。慣れないスーツにネクタイで首を絞め、他の大勢の同じ格好をした就活生たちに混ざった。

I was so hard to please
But look around, leaves are brown
And the sky is a hazy shade of winter
(僕は満足などできない人間だった
でも周りを見てごらん、木の葉は茶色
そして空には霞んだ冬の陰)

MITへ来た頃、将来の夢は単純明快だった。宇宙開発の現場で働くこと。しかしやがて、政治に振り回される宇宙開発の現実を思い悩むようになり、それが本当に自分の一生をかける価値のある仕事なのか、疑問を抱くようになった。日々の仕事がどんなに楽しくても、それを40年続けた後に過去を振り返って、これが世の中の何に役に立ったのだろうと虚しさを感じるようなことだけはしたくない。

生きがいが欲しい。自分はこのために生きているのだと本音で堂々と言いたい。客観的に定義され得る存在価値が欲しい。毎日を、惰性ではなく、目的を持って生きたい。そして死ぬときは自分の人生に満足して死にたい。

Hear the Salvation Army band
Down by the riverside, it’s bound to be a better ride
Than what you’ve got planned
Carry your cup in your hand
(救世軍バンドの演奏を聴きながら
河原を歩けば、君の計画よりも
気分の良い散歩道になるだろう
コップを片手に持ちながら)

就職面接では、自分がその会社にどう貢献できるかを明快に説明できるように準備しておけ、と先輩にアドバイスされた。だから僕は、十の会社に対して少しずつ異なる十の答えを用意した。もちろんそれらは全て、嘘偽りない自分の本心である。しかし一方で、それらは自分のほんの一部分でしかないとも感じる。自分を切り売りしているような感覚がふとしてしまった。そして、たとえその十個の答えの和を取っても、依然自分の全てはカバーされていないと思う。いや、待て、「自分の全て」とは一体なんだ?それを表現しきったことが、今までに一度でもあったか?

And look around, leaves are brown now
And the sky is a hazy shade of winter
(周りを見てごらん、木の葉は茶色
そして空には霞んだ冬の陰)

昨年就職活動を終えた友人を捕まえて、「なにか、日々の仕事が楽しくて、やりがいがあって、俺が持っているものを全て生かせるような仕事はないかなあ」と軽い口調で聞いた。
「そんなん、あるわけねえよ」と、彼は投げやりに答えた。

ウクライナ人の友達がいる。彼女はMIT数学科の学部を卒業し、数年間ウクライナの故郷の町の通信会社で働いた後、MITの大学院に戻ってきた。その通信会社の仕事は面白かったか、と聞くと、彼女はこう答えた。「あの場所ではね、仕事の選択肢がほとんど無いから、面白いか面白くないかなんて問題じゃないの。生きるために働く、ただそれだけよ。」

Hang on to your hopes, my friend
That’s an easy thing to say, but if your hope should pass away
It’s simply pretend
That you can build them again
(「希望を絶やさぬのだ、友よ」
そう言うのは容易いけれども、もし希望が消え去ってしまったならば
もう一度希望を作り上げられるようなフリをすればいいのさ)

どの会社の採用担当の人たちも、自分の会社の素晴らしさを僕に熱心に説く。それを聞くうちにその会社で活躍する自分のイメージが湧いてくる。しかし一方で、社会人の先輩や友達と飲みに行けば、ほとんどの人は多かれ少なかれ現在の仕事への不満を並べる。それを聞くうちに、その会社で煮え切らないモチベーションのまま日々の仕事に追われ、人生を浪費していく自分のイメージが湧いてくる。とはいえ採用担当の人たちもきっと、友人と飲めば上司や組織への不満をぶちまけるのだろう。僕の先輩や友人たちもきっと、就職面接の場では学生に我が社の魅力を語るのだろう。当たり前じゃないか、本音と建前を使い分け、建前から本音を見抜くのが世渡りだ。自己の分断と多面性の獲得こそが社会人たる必要条件だ。ナイーブな思考は用を成さないのだ。

Look around, the grass is high
The fields are ripe, it’s the springtime of my life
(周りを見てごらん、草は高く生い茂り、
大地は豊かに実る。今こそ僕の人生の春なのだ)

ある会社の面接の対策を練るために、そこで働く友人に「どのような人材を求めているのか」「どういうアピールの仕方は受けるか」などを事細かに質問した。するとすぐに下心を見抜かれ、
「マジメに色々考えているようなら、小野らしくないな。つまんない男になってないか?大丈夫か?」
と言われてしまった。

ある知り合いに、彼が昔働いていた会社について電話で話を聞いた。すると、「小野さんがあそこで働くなんて勿体ない。もっとでかいことをしなさい。」そう諭された。でっかいこと。具体性が皆無なこの言葉ほど、僕の心を魅了するものはない。「でっかいこと」をすれば、僕の人生は満たされるのだろうか。

Seasons change with the scenery
Weaving time in a tapestry
Won’t you stop and remember me
At any convenient time
(季節は風景と共に移り変わり、
時間をタペストリーの中へ織り込んでゆく
暇なときにちょっと立ち止まって、僕のことを思い出してくれないかい?
いつだっていいからさ)

ある会社のディナーに招待され、その席で「十年後の目標は何か」という話題になった。若手社員たちは、先輩社員を指して「○○さんのようになりたい」などと答え、学生たちは「早く仕事を覚えて一人前になりたい」などと答えた。順番が回ってきたとき、何も考えていなかった僕はとっさに”I’m going to be a big man (でかい男になる)”と答えた。ひとりの女性社員が”That’s just a big mouth(単なるビッグ・マウスよ)”と冷たく笑った。

Funny how my memory slips while looking over manuscripts
Of unpublished rhyme
Drinking my vodka and lime
(笑っちゃうよな、未刊の詩の原稿を眺めているうちに
僕の記憶は途切れ途切れになるんだ
ウォッカ・アンド・ライムをあおりながら)

別の会社のディナーで、非常に親身になって話してくれた高い役職の社員がいた。NASAへ行く気はないのかと彼に聞かれ、僕は本心のままに宇宙開発に対して抱くジレンマを話した。すると彼は、映画「踊る大走査線」の和久刑事の台詞を引用して、こう言った。
「正しいことをしたいなら偉くなれ。」
その言葉は、何の引っ掛かりもなく僕の腑に落ちた。五年前の僕は、その言葉を腑に落とさなかっただろう。

I look around, leaves are brown now
And the sky is a hazy shade of winter
(周りを見てごらん、木の葉は茶色
そして空には霞んだ冬の陰)

自分の両親の歩んだ道を考える。僕の父親は大手メーカーの雇われエンジニアだったが、会社の中で一歩一歩着実に階段を登り、遂には大きな責任を持つ立場にまでなった。サラリーマン人生としては十分すぎるほどの成功であろう。「こんな大きな仕事を任されてしまって…」などと愚痴る彼の顔は充実感に溢れている。

間もなく還暦を迎える母は、結婚前は高校教師をしていた。子育てがひと段落したら教壇に戻るつもりもあったようだが、ひと段落などする間もなく、気付けば28年間を主婦として過ごした。そんな母がふと、「私の生き甲斐は雅裕とアスミ(僕の妹)だった」と言ったのを聞いた。その時の彼女の顔に後悔や迷いは無かった。

Look around, leaves are brown
There’s a patch of snow on the ground…
(周りを見てごらん、木の葉は茶色
地面には雪が積もりだした)

人生とは何なのだろう。生き甲斐とは何なのだろう。何をすれば子供たちにハリボテではない夢や希望を語れるのだろう。そして、何をすれば満足して死ねるのだろう。ある一つの選択肢を考える。自分はそこで大きく成功し、生き甲斐を感じながら仕事に取り組む毎日を送れるに違いないという自信と、いや、結局はレンガの一ブロックとして小さく終わってしまうのではないかという不安が、「進め」「止まれ」を繰り返す信号機のように、交互に僕の胸に浮かんでは消え、現れては隠れる。そこで別の選択肢を考える。全く同じように、やはり自信と不安が交互に胸を支配する。

Look around, leaves are brown
There’s a patch of snow on the ground.
(周りを見てごらん、木の葉は茶色
地面には雪が積もりだした)

全ての面接が終わった日曜日の午後、肩の荷が下りた僕は、外したネクタイを鞄に突っ込んで、徒歩でダウンタウンへ向かった。もう師走も近いのに、生ぬるい空気を春一番のような突風が掻き乱す変な天気だった。慣れない革靴に足が痛むのでゆっくり歩いたのだが、友達との待ち合わせよりもずいぶん早くダウンタウンの公園に着いた。木に最後まで残った葉が強風に舞っていた。スタンドで揚げパンを買い、ベンチで頬張った。夏の間は涼しげに池を泳いでいたカモたちもすっかり姿を消し、冬篭りの準備に熱心なリスたちはせわしなく木と木の間を駆け回っていた。

Look around, leaves are brown
There’s a patch of snow on the ground..
(周りを見てごらん、木の葉は茶色
地面には雪が積もりだした)

人生なんて結局、スタート前に設計できるほど単純なものではないだろう。その意味は走りながら見つけていけばいいのかもしれない。道の選択は巡り会わせと直観か。一方で、後悔を蓄えながら生きる人や、出た賽の目の意味を後からでっちあげて後悔を隠そうとする人には、僕は決してなりたくない。だからこそ、僕は自信を持って道を選ばなくてはならないのだ。その自信が、まだ僕にはない。そして、自信は勝手に湧いて出てくるものではないことを、僕は良く知っている。結局僕は、あと一年半の学生生活を頑張って、さらに経験と知識を積み上げていくしかないのだろう。そうするうちに、僕はあるひとつの道を、自らの意志で選ぶ自信が得られるだろうか。

(Hazy Shade of Winter - words by Paul Simon, 和訳:緒野雅裕)

2009/12/10 Thursday

留学交流/留学相談フォーム

Filed under: 日々徒然 — ono @ 13:06:06

本日発売の「留学交流」という雑誌に、僕の書いた記事を載せていただいた。世に言う「留学体験記」だ。おおよそ巷に溢れる留学体験記は「異文化に触れ、視野が広がり、世界各国からの友達に囲まれ…」などと留学の楽しい面にばかりフォーカスする傾向がある。ならば僕は留学の苦労話を思いっきり書いてやろうと思い、渡米後に体験した辛さ苦しさ寂しさ情けなさを四ページの紙面に書き付けた。もちろん、僕も四年半の留学生活の中で他の留学体験記に書かれているような楽しさをたくさん味わったのだが、それでも留学で得た一番の経験はあの苦労とその克服だと思うことに偽りはない。

僕が今回の記事執筆の依頼を受けたのは、過去に催した「アメリカ大学院留学説明会」の噂が編集者の方の耳に入り、声がかかったという経緯だ。思いつきで始めた活動が、こうして次のステップへ繋がったことを嬉しく思う。僕にこのような素晴らしい機会を下さった「留学交流」の編集者の皆様に感謝するのみである。

そして、この機会にさらに未来の留学生へのサポート活動を拡大させるために、「アメリカ大学院留学相談フォーム」を設置した。留学を考えている日本の学生さんたちからの質問をこのWebフォームで受付け、現在アメリカの大学院に留学している日本人学生がそれに回答する、というものだ。MITやハーバードの約15人の友人がボランティアを申し出てくれた。今後はFAQやリンク集を設置し、他の大学からもボランティアを募って、サービスの充実を図りたい。熱意溢れる日本の学生さんたちに是非利用してもらいたいと思う。ただし、あくまでボランティア活動なので、回答できる質問の数には限りがあることはご理解いただきたい。

今年も、MITへ応募したいという何人かの学生たちから相談を受けている。彼らが添削してくれと送ってくる英語のエッセイを読むにつけ、ちょうど五年前、僕も彼らと全く同じように、下手糞な英語で一生懸命に願書を書いたことを思い出す。その時の僕は、海の向こうで活躍する自分の姿を頭の中に思い描きながら、静かな興奮に身を震わせていた。どでかいことをしてやるぞという野心に満ちていた。きっと彼らも同じような気持ちで海を渡ってくるだろう。そしてきっとその後に様々な苦労を経験するのだろう。いいじゃないか、それこそが若さだ。野心は冷凍保存するよりも、レンジに入れて爆発させてしまうに限る。元気が良すぎて日本を窮屈に感じている学生たち、是非とも飛び出して来て欲しい。

そして、こんな偉そうなことを言ってみた後で、わが身を振り返る。最近、発言がジジ臭くなったと笑われる。四年半のうちに、冒険は生活となり、挑戦は慣性となった。そんな中で自分は尖り続けていられるか。若いままでいられるか。そろそろ僕にも、新しい冒険や挑戦が、必要な時期なのかもしれない。

Buddy you’re a young man hard man
Shoutin’ in the street gonna take on the world some day
You got blood on your face
You big disgrace
Wavin’ your banner all over the place

We will we will rock you

おいそこの若造、気難しい野郎め
天下を取るぞなどと豪語しやがって
顔に血が付いているぜ
この恥さらしめ
幟をかざして街中を練り歩け

俺に、俺にかかってこい

2009/12/4 Friday

MIT生の性生活

Filed under: 日々徒然 — ono @ 15:06:46

MITの学生新聞 “The Tech”に、一月ほど前、”Sex@MIT”という特集が組まれました。内容はご想像のとおり。特集は全部で10ページにも渡り、同性愛、アナル/オーラルセックス、レイプや玩具のことまで、包み隠さずにあけっぴろげに書かれているのがいかにもアメリカです。(紙面のPDF

とりわけ面白かったのが、MITの学部生を対象に行ったアンケートの結果です。全体の40%、1,729人から得た回答をもとに、MITの学生がどんな性生活を送っているのかを浮き彫りにしています。(原文はここ

MITはドウテイが多い?

東大や東工大にはハタチにもなってドウテイを捨てられないオタクがうようよいるとの偏見がありますが、こちらでも「MITはセックスに興味がないオタクの巣窟だというステレオタイプ」があります。そしてアンケート結果によると、このステレオタイプはある程度事実のようです。アンケートに回答したMITの学部生のうち42%が、自分はバージンだと答えました。(英語では男性に対しても「バージン」という言葉を用います。)大学一年生の未経験率は63%だそうです。一方で、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の統計によると、高校三年生のアメリカ人の平均バージン率は53% (2003年)とのこと。たしかにMIT生はバージンが多いようですが、そこまで大きな差でもありません。してないわけでは決してないぞ、というのが、学生新聞の主張です。

アメリカではキリスト教の影響が強いためか、結婚までセックスはしないというポリシーを持つ人が多くいます。未経験者のうち、男性の23%、女性の39%は、できないからしていないのではなく、しないと決めているからしていないのだそうです。本音の人、負け惜しみの人、両方の人、きっと色々でしょう。

ちなみに、MITの学生の15%がアナル・セックスの経験があるそうですが、そのうち2.5%の人は、依然自分はバージンだと考えているそうです。つまり彼らは、アナル・セックスはセックスではないと定義しているのです。なんだか屁理屈っぽい純潔の守り方ですね。

MITの学年別バージン率。左から、一年生、二年生、三年生、四年生、留年生です。マニアだらけのMIT生も、ちゃんとオトナの階段を登っているようです。

学科別、寮別の傾向

専攻によって、バージン率に明らかな傾向があるようです。経験豊かな学科ベスト3は、政治科学科(9.9%がバージン)、経営学科(27.5%)、地球大気惑星科学科(28.3%)。一方、20年物の未開封ボトルが多く蓄えられている学科ベスト3は、化学科(48.2%)、人文学科(45.7%)生物工学科(45.4%)。トップ3を見れば文系のほうが経験豊かなのだと取れますが、一方で人文学科が純潔第二位に入っているあたり、傾向が読めません。

学科以上に強い傾向が現れるのが、住んでいる寮ごとの統計です。アメリカの大学の学部生はキャンパス内の寮に住むのが一般的で、それぞれの寮には独自の文化、独自の雰囲気があります。「ハリー・ポッター」でもそうですよね。MITには12の学部生寮があり、そのなかで最もはっちゃけているのがSenior Houseで、バージン率は20.4%。一方、最も真面目な人が集まるMcCormick Houseでは、バージン率は驚きの82.4%にも達します。

MIT 寮別バージン率
寮別バージン率

性的嗜好

87%の学生がストレートで、3.5%が同性愛者、6%がバイセクシャルだそうです。僕の周りにもゲイの友達が二人います。アメリカの中でもリベラルなボストンでは、同性愛者は堂々としています。自分の性的趣向を公表することをいとわず、パーティーにも同性のパートナーを連れてきて、平然とした顔で”This is my boyfriend”などと紹介します。

13%の人が、同性とのセックスの経験があるそうです。性別での内訳は、男性が10%に対し、女性が16%。女性のほうが同性セックスに積極的のようです。Comparative Media Study (比較メディア学?)学科では、なんと42%の学生が同性セックスの経験があるそうな。メディアは前衛的で芸術家肌の人が多そうなイメージがあるので、なんとなく納得です。

How? Why?

66%の男女が、セックスの質に満足しているそうです。「なぜセックスをするのか」理由を尋ねたところ、92%が「自分の満足のため」、77%が「パートナーと親密な関係を築くため」、そして16%が「嫌なことを忘れるため」と答えたそうです。MITは授業も研究もタフで、精神的負担が大きく、鬱病になる人はもちろん、自殺してしまう人も毎年のようにいます。ガス抜きは重要ですよね。

MIT セックスの満足度
セックスの満足度

その他もろもろ

この号の特集には、統計だけではなく、MITの性に関する様々な記事が並んでおりました。性感染症の予防に関する真面目な記事から、「わたしの初体験」を語る投書コーナー、ポルノ映画、レイプを防ぐ方法からオモチャの紹介まで。全紙面がPDFで閲覧できるので、興味がある方はぜひ見てみてください。

オモチャ紹介のコーナーの書き出しがいかにもMITっぽくて面白かったので、以下に翻訳します。

MITの必修科目である物理を習った人なら皆、摩擦は運動の敵であることを知っている。摩擦は常に動きに抵抗し、性交のように二つの物体が接触するときには必ず摩擦が発生する。ある程度の摩擦は良いものだが、強すぎる摩擦は辛い経験となる・・・

うむ、セックスも物理学の問題として扱っているようでは、MIT生のバージン率が全国平均より高いのも頷けますね。

最後に、「私の初体験」に寄せられた投書をいくつか翻訳したいと思います。

  • モーテルに彼女を連れ込み、二回して、帰った。
  • SUVの前部座席で、デブ男と。
  • 私の初体験は結婚の後でした。意味のあるものにしたかったからです。
  • 泥酔して何も覚えていない。
  • ボーリングの初体験のことだよね?え、違うって?えっと、気にしないでくれ!

学研「科学」休刊

Filed under: 日々徒然 — ono @ 8:49:55

こんなニュースを見つけました。

雑誌、苦境一段と 学研が「科学」「学習」休刊

学研ホールディングスは3日、小学生向け学年別学習誌「科学」と「学習」の休刊を正式発表した。小学館も学習誌「小学五年生」「小学六年生」を 2009年度末で休刊することを決定済み。両社とも創業以来の看板雑誌に幕を下ろす背景には、深刻化する出版不況と時代のニーズとのずれがある。

「十人十色ではなく一人十色だ」。学研幹部は今の子ども事情をこう表する。ゲームやインターネットの普及で、子どもたちが求める情報が細分化。趣味の多様化も進み、男女を分けずに学年で分ける「学年別学習誌」はもはや、時代の変化に合致しない存在となっていた。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091204AT1D030AQ03122009.html

学研「科学」、小学生の頃にとてもお世話になった雑誌です。宇宙、恐竜、車や飛行機、そんな子供心にわくわくするような理学や工学の話が満載で、難しい内容も漫画や写真を豊富に使って子供に分かりやすく書かれていました。一番の楽しみは付録で、ホログラム、プラネタリウム、カブトエビの飼育キットなど、学校の理科室にもないような、面白くて質の高いものばかりでした。毎月学研のおばさんから雑誌を受け取ると、まず付録の箱を開けて、夢中で組み立てたのを覚えています。僕が宇宙工学の道に入り、アメリカにまで来てしまったのも、きっと「学研」で体験したワクワクが理由のひとつなのではないかと思います。

時代の変化にいちいちケチをつけるほど僕はまだ老いぼれてはいないつもりだけれども、あのワクワクが、ゲームやインターネットに取って代わられてしまったならば、今の小学生たちは不幸だな、と思います。

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