2007/9/2 Sunday

夏の終わりの Saturday in the Park

Filed under: 日々徒然 — ono @ 13:29:53

水曜日、二週間ぶりにボストンに戻ると、早くも紅葉が始まっていた。札幌と同じ緯度にあるボストンでは、夏は遅く来て早く去る。

僕が留守の間、ボストンはだいぶ冷えたらしいが、今週末は暑さが戻った。もっとも、ボストニアンが言う「暑さ」は、東京の「暑さ」とは全く違う。日差しは強いけれども風はさわやか。人々は冷房の効きすぎた屋内から、通りへ、公園へ、お日様を浴びに出てくる。

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(↑ Newbury St.)

そんなわけで、久々に暇な週末を楽しみに、街へ散歩に出た。自宅の目の前を流れるチャールズ川を渡り、ボストンで唯一のショッピング街・NewburySt.に沿って、ボストンの中心にあるPublic Gardenへ。日比谷公園の半分ほど敷地に、芝生があって木があって、銅像があって噴水があり、池があってカモがいる、そんな、アメリカのどこの街にもあるような公園が、Public Gardenだ。

面積はNew Yorkのセントラルパークの30分の1にも満たないが、歴史ならばこっちの方が長いぞ、というのがボストニアン達の自慢。そう、ボストンは何かとNYに対抗意識を燃やすのだが、規模ではどうにも勝てっこない。そこで、何でも大きいことを自慢するあちら様に対して、こちらは何でも古いことを自慢にする。全米最古の地下鉄、大リーグ最古の野球場、全米最古の公共図書館、そんな具合だ。

自転車を押して、Public Gardenに入る。冬は閑散とするこの公園も、夏の休日は太陽と老若男女で溢れている。ストリート・ミュージシャンの歌をBGMに、徒党を組んでそぞろ歩きする観光客、芝生で日光浴を楽しむカップル、子供の写真を撮るのに忙しい親たち、犬を散歩させる飼い主たち、あるいは飼い主を散歩させる犬たち。

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白いふわふわの毛をした大きな犬が、通りかかったミニチュア・ダックスに突進し、紐がベンチに絡まる。たちまち二匹のマスコットは、微笑ましい仕草に足を止めた通行人たちに囲まれる。ダックス君は尻尾を股の間に挟み、びくびくしながら白い犬に近づく。白い犬がペロリとダックス君の鼻を舐めると、びっくりして後ずさりする。ダックス君本人は必死なのだろうが、通行人は笑うばかりで何も助けてくれない。肝心の飼い主も、向こうの飼い主とお喋りに夢中で相手にしてくれない。喋ってないで助けてよ!そんなダックス君の文句が聞こえてきそうだ。

スペイン語を喋る二人が、池を渡る橋の上で写真を取っている。一人は腰が曲がったおばあさん、もう一人はその娘だろうか。娘に肩を抱かれたおばあさんが、この上なく嬉しそうな顔をしている。娘は故国を離れ、アメリカへ出稼ぎに出て10年。ようやく親を呼び寄せるお金も貯まり、涙の再開をした後、初めての休日に、母親にボストンを案内している。そんなありきたりな物語を造って、彼女たちに当てがってみる。

噴水前で写真を撮る新郎新婦の横を通り過ぎ、池の端のベンチに腰を下ろす。近くではギターの弾き語りが延々と続く。隣のベンチに子連れの親子がやってきて一服する。しかしベンチなんて疲れた大人のもの。子供たちはそんな退屈な場所にじっとしていられない。親の膝から滑り降りて、よちよちと道を歩き、ギターを弾くお兄さんを下から覗き込む。彼はコーラスの途中で歌を止め、ピックを持ったまま子供に手を振る。すると子供は嬉しそうな顔をして親のところに戻ってくる。

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乳母車をよちよちと押して歩く三歳くらいの女の子と、妙に目が合った。彼女が三度目にこっちを振り向いたときに手を振ると、四度目に振り向いたときに手を振り返してくれた。

知らない曲のギターの弾き語りは、どれも同じに聞こえてしまう。一度だけ、知っている曲が流れる。Pink Floyd の “Wish You Were Here”. ついつい歌ってしまうのが僕の性分。気付くと、隣のおじさんも鼻歌を鳴らしている。

喉が渇いたので、再び自転車を押して、公園の隣のStarbucks Cafeに向かう。カメラマンがまだ花嫁を追いかけている。その花嫁は少し疲れ気味だ。アイスコーヒーを買ったのち、公園に戻る。

この公園のマイナーな名物が、「カモさんお通り」の親子カモの像。母ガモが、元気がいい子ガモを8匹、連れて歩いている像だ。母ガモが高さ70cmくらい、子ガモが30cmくらい。要は、子供がまたがるのに丁度いい大きさ。こんなものが公園にあれば、使われ方は自ずと決まってくる。子供がカモにまたがってはしゃぎ、親はそれを写真に収めて喜ぶのだ。

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子供が4、5人、連なってカモにまたがる。先頭の母ガモにまたがった坊やは得意げだ。後ろを向いて、子分たちに、「俺についてこい」と威張る。その親たちが、どのようなアングルで写真を撮れば我が子がかわいく写せるか、思案に暮れている。しかし、1分もじっとしていられないのが子供というもの。いいアングルが見つかった頃には、子供たちはその中にはいない。

2、3歳の坊やが、お父さんに肩車をされてやってくる。恐ろしく眼力が強い子で、まばたきひとつせずに子ガモの像の一羽を睨んでいる。彼が両手でお父さんの頭をモミモミしたのは「下ろして」の合図だったらしい。下ろされる間も常に視線はロック・オン。地面に足が着くと、睨んでいたカモの像を目がけてガニ股で突進し、満足そうにまたがった。そろそろ行くぞ、と父親が近づくと、彼はガニ股でよちよちと逃げる。それを父親は後ろからひょいと抱き上げ、肩に乗せて、歩み去っていった。

しかし、こうやってアジア人の男が独りで30分もベンチに居座り、子供を見ながらニヤニヤしているのはいかにも怪しい。間違いなく誘拐犯だ。そろそろ行くか。帰って片付ける仕事がいくつかある。読むべき論文も何本かある。来週から学期が始まるから、取る授業も考えなくては。そんなことを考え、溜息をつきつつ、自転車を押して公園の出口に向かい、その去り際に、太陽と人で溢れた公園を振り返って見て、ああ、結局幸せってこういうものなのかもしれないな、などとジジくさいことを想ってみたりした、夏の終わりの、Saturday in the Park.

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